2004年07月25日(日)
この日は同級生と一緒に、英語の担任だった先生のお宅に遊びに行きました
僕自身はその先生に授業を受けもらってはいなかったのですが、お子さんとも知り合いなのでお邪魔することに
そのときに当時のクラスで撮った写真を先生が引っ張り出してきました。いつもはお部屋はあまり片付いてはいないそうで、先生曰く
遊びに来るから探したわけじゃなくて、たまたま他の資料を探していたら出てきたんだけどね
とのこと
当時担当していたクラスの写真などを見て、若い同級生の姿を笑ったり
そんな風にして写真をめくっていたら、ある友人の写真がありました
考えてみれば彼もそのクラスだったので、映っているはずですが、ちょっと予想もしなかったのでビックリ
その友人はとても写真嫌いで僕の手元には一枚も残っていないので、先生にその話をして、その写真を譲ってもらいました(偶然彼の写真だけ2枚あったので)
また当時の答案用紙なども出してもらって彼の言葉を見てみたり
さすがに顔は出せませんが
この写真を撮った2年後に彼は自殺をしました
最初に連絡を受けたときには僕は冗談かなにかだと思いました
遺書も何もなく、自殺に至った原因は分からなかったので、お葬式のときにはあまりにも現実感がなくて僕は涙が出なかったです
しかし、今回はまさか遊びに行ったお宅で見るとは思ってもおらずこの時はなんだか不意打ちを喰らったようにボロボロ泣いてしまいました。彼が死んでからは泣いたのは初めてかな
なにせ、遺書が残っていないのでどういう風に考えていいのかよく分からず、長い間受け止めることができませんでした、いやそれは今でもそうですね、まだちゃんと受け止めることはできていないかも。
悩んでいることに気がつかなくて、力になれなくて申し訳ないとも思ったり、自殺という手段に走ったことに腹を立てたり。その時々で胸に去来する想いは様々ですが。
けれど、今回、ほんと偶然に写真に出会うことでなんかいいきっかけになったように思います
上の言葉は、英語の最初の授業で自己紹介の欄に書いていたもの
こういう事書く人間が、自殺するのかなぁと思ったり、彼は philosohy というのをどういう風に考えていたのか?と思ったり
僕は今 胸をはってその言葉を言えるのかな?と思ったり
写真については、随分迷ったのですが、こういう形で出すことにします
変にモザイクを入れるよりもこういう形の方がいいと思いました。あぁでもこの写真は無断転載不可にしときます
このサイトは
このサイトの副題「小さなデキゴト」というのは彼の死から思いついたことです
正直、自殺をする人の気持ちなんていうのはよく分からないのですが、先のことばかりに目が行って身近な、とてもくだらない小さな出来事には気がついていないンじゃないか?
今日は天ぷらが美味しかっただとか、カエルが良い声で鳴いているとか、子犬のくしゃみがとてもかわいかったとか、すぐ忘れてしまうような小さいことをもっともっと大切にしていければ良いンじゃないだろうか?楽しく過ごせるんじゃないかな?とかいう風な意味合いから付けました
なので、日記なんかをつけて公開しているのもその延長ですね、自分でやはりそういうことを見つけていこうかと
どちらかというと「小事象」というは後づけですね、「小耳症」の当て字のつもりでつけましたし