悩むこと

懊悩
今では随分平気になって、耳のことを冗談のネタに使うくらいになったのですが、以前は悩んだこともありました

なんで、耳が変なのか?というのを考えたり、対人関係、というか人の視線が嫌になったり、耳を隠すために髪を伸ばしたり

それでも友達とかに話を聴いてもらったり、彼女ができたりして徐々にこの耳を受け入れていられるようになりました。そして今では耳のことなどどうでもいい、というかそれよりも頭皮が心配とか、最近やたらと髪の毛が抜けるのが気になるとか、彼女と別れたりとか、なんというか耳のことは二の次になっていたりします

じゃなんで、こうやってコンテンツも作ってるかというと、どこかで吐き出しておかないと居心地悪い(王様の耳はロバで小さい)、また他にコンテンツのネタが思い浮かばなかった、悩んでいる自分ってカッコイイ(自己満足)、とかいうのが実情です

えっと、なんか話が脱線してますが、まぁそんなに今は深く思い悩んでいない、ということで。
また年代別に当時のことなどを織り交ぜて紹介したいと思います

小学校のころ

手も足も出ない
小学生のころに三度の手術を受けたのですが、それが 2年〜3年生 の期間だったので私は良かったと思います。どの年代にやっても長い期間を入院生活に費やすわけですが、本格的にスポーツなどのクラブ活動が活発になる4年〜6年生の夏休みとかに手術をしていないために、多くの思い出を作ることができました
また、友人関係ですが、田舎の学校ということもあって、耳が変だからと言って差別されることもなく仲良く過ごしていました。当時はあまり耳のことは考えなかったように思います。というかどちらの耳が聞こえないのか?というのは深く意識はなかったですね、他の人もみんなそういう聞こえ方なのだと思っていました

中学生のころ

自分の足で見て周る
中学生になると、いじめに合いました。と言っても3年生になってくらいでそれまでは特に問題もなかったのですが。受験というストレスのはけ口として奇形の人間をからかうのは良くあるンじゃないでしょうか?物事の是非はともかく。
と言ってもまァ暴力をふるわれることもなく、ただ単に仲間はずれにされるくらいでしたけれど
また、いじめをする側だけに原因があるのではなくて、私もうまく人間関係を築けないのが理由だったと思います

中学生ともなると毛も生えそろい、そろそろ自分のことを考えるようになります。なんで自分は耳が変なんだ?と考え出したのはこのころだったかも


そう言えば、国語の授業での作文で、耳のことを書いたら教員から
これを書き直したら、賞も狙えるかもしれないよ
と言われて、嫌になって断ったことがありました。当時は純粋でしたね、なんか同情買うのがイヤだったのだと思います
今だったら?当然書きますよ、せっかく小耳症なのだし、損のすることの多いのにこういう同情を引く手段でもなんでも利用しなくちゃ

高校生のころ

愛想笑いを憶えました
高校生ともなると、いじめなどはないですし、他人との距離を巧くとって適当に誤魔化しながら人間関係を形成することができるようになりました。また正面から
その耳はどうしたの?
と訊かれることも少なくなりましたが、今度は自分が自意識過剰になって人の視線というのが嫌になり、髪を伸ばして耳を隠したりしました

学校の図書館にあった医学書で調べて、小耳症というものを知ったのもこの頃だったと思います。古い本だったのですけれど、とりあえず名前のある病気なのだと知って ほっ としたような憶えがあります。また原因は不明というのにも安心しました

それから

割と吹っ切れました
人の目が嫌になったりしたので、髪を染めたり、あれこれやってみたりしたのですが、思い切って友達に相談してみたら意外にもその友達が私の耳が変なのを相談されるまで気がつかなかったそうで、私はそのことにビックリしました

私は自分が耳が変なために、他人の耳をよく観察するのですが、他の人もみんなそうしているのだ、とばかり思い込んでいたので友達にもかかわらず、私の耳に気がつかないという人がいるということを知ったことでものすごく気が楽になりました
普通は顔を見ても耳はあまり見ないようですね

ンで、彼女ができたりしたことで段々と小耳症であることが平気になっています
やはりだれかに認めてもらえるのは自信につながりますね、けど今は彼女とは別れたんですが・・・・・・。
また ML の存在も大きいと思います、自分は今までは同じ小耳症の方に会うことはなかったので、ネットを通じていろいろと情報を交換できたりしていったのはいい経験になりました
小耳症について